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第4話

Author: 伊桜らな
last update Last Updated: 2025-09-24 19:16:16

検査室を出ると、私の足は自然と廊下へと向かっていた。頭の中は混乱で埋め尽くされている。哲也さんの冷たい視線、沙羅の嘲笑、彼の疑念――すべてが絡み合い、胸を締めつける。だが、立ち止まるわけにはいかない。お腹の命を守るため、私は前に進まなければならない。

廊下の先に、人影が見えた。哲也さん――そしてその隣には、鮮やかな赤いドレスを纏った沙羅。血の気が引く。足がすくみ、膝が震える。だが、この子を守るため、私は逃げられない。

英司の手が私の腕を支え、震えながらも歩を進める。「美咲、無理はするな」と彼は囁くが、その声は遠く、鼓膜の奥で反響するだけだった。私は勇気を振り絞り、震える声で告げた。

「哲也さん……私、妊娠しているの。だから、離婚はやめてほしい」

一瞬、彼の瞳が揺れた気がした。胸が跳ね、希望がわずかに灯る。だが、次の瞬間、冷たい怒りがその光を塗りつぶした。

「それは……新しい芝居か?」

その言葉は、鋭い刃となって私の胸を貫いた。震えが止まらず、視界が滲む。言葉を失い、ただ立ち尽くしてしまう。

「ち、違うわ! 本当なの!」

涙で声が震えるのを必死に押さえ、叫ぶ。

「哲也さんっ。お願い、信じて……!」

だが、哲也さんは私の言葉を無視するように、冷酷に続けた。

「お前の目的は地位と財産だろ。神宮寺家の支援を維持し、兄の将来を守りたいだけだ」

その言葉に、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。私はこの人を愛している。

なのに、なぜ私の言葉は届かないのか。なぜ、こんなにも信じてもらえないのか。心が砕け散るような痛みが、全身を駆け巡った。

「もう話すことはない。英司の将来を守りたいなら……離婚届に署名しろ」

彼の声は、冷たく、棘のように私を貫いた。握りしめた検査結果の封筒が、手の中で冷たく震える。絶望が心を覆い、足元が崩れ落ちそうになる。

そのとき、沙羅が甘ったるく、しかし鋭い声で割って入った。

「ごめんなさい、携帯を車に忘れてしまって……」

哲也さんは不機嫌そうに頷き、足早に廊下の奥へと消えた。残されたのは、私と英司、そして沙羅だけ。彼女はゆっくりと振り返り、氷のような笑みを浮かべた。

「男をつなぎ止められないのね。あなたの母親も夫をつなぎ止められなかった。……今度はあなたの番よ」

その言葉は、私の心を粉々に砕いた。拳を握りしめ、視線を落とす。母を侮辱され、私の存在を否定される痛みは、言葉にできないほどだった。

「黙れ!」

英司が低く、震える声で叫んだ。彼の目は怒りに燃え、沙羅を射るように見つめる。だが、彼女は怯むどころか、笑みをさらに深めた。

「なぜ私がここにいるか知ってる? 私、哲也の子を妊娠しているのよ。本当の後継者をね。あなたと違って」

世界が止まった。呼吸が乱れ、耳鳴りが響く。心の中で、哲也と私を繋ぐ赤い糸が、今まさに千切れる感覚がした。あの人が、沙羅と――?

哲也の冷たい態度、無関心、すべては耐えられた。だが、不倫だけは――どうしても受け入れられなかった。胸が張り裂けそうになり、涙が頬を伝う。

「この女……!」

英司が叫び、沙羅に掴みかかろうと一歩踏み出した。その瞬間、廊下の奥から足音が響いた。哲也さんが戻ってきたのだ。彼は、英司が沙羅に手を上げようとする場面を目撃し、険しい表情を浮かべた。

「離せ!」

守衛が駆けつけ、英司の腕を掴む。混乱の中、私は兄を守ろうと叫んだ。

「やめて! 兄さんに触らないで……兄さんだけはお願いっ」

絶叫とともに腕を伸ばすが、その瞬間、沙羅が冷たく、計算された力で私の肩を押した。バランスを崩し、床に背中を打ちつける。鈍い衝撃が体を貫いた。どうにか、お腹は守れたみたいだ。でも、肩辺りが痛い。

「……あっ……!」

呟く声も出せず、ただ床に倒れ込んだ。

冷たい床の感触、遠ざかる英司の叫び声、沙羅の冷笑――すべてが闇に溶け、長い夜が再び私を飲み込んだ。

その言葉が、耳の奥で鋭い残響となってこだました。哲也さんの冷たく突き刺さる声が、昨夜のリビングでの対立を何度も脳裏に蘇らせる。怒りに燃える彼の瞳、沙羅の嘲笑的な薄ら笑い、そして床に散らばった手紙の文字。

あの手紙に書かれた母への告発――“神宮寺夫妻を事故に見せかけて殺害しようとした”という言葉。

そんなことはありえない。だって、私の知る母は、優しくて、自分よりも家族を何よりも大切にする人だった。なのに、なぜこんな疑いがかけられているのか……心の底から信じられなかった。

自室のベッドに横たわり、毛布に顔を埋めても、眠りは遠かった。目を閉じれば、哲也さんの嫌悪に満ちた視線が浮かび、胸を締めつける。沙羅の甘く冷たい声が、まるで毒のように耳の奥で反響する。

『あなたの母親も夫をつなぎ止められなかった。今度はあなたの番よ』

その言葉は、私の心を切り裂く刃だった。

「……なんで、こんなことになったの……」

震える肩で呟く声は、闇に吸い込まれるように弱々しかった。お腹に手を当てると、かすかな波動が感じられる気がした。小さな命。まだ見えない、触れられない、けれど確かにそこに存在する私の子。この子は、私の孤独な世界に差し込んだ唯一の光だった。

だが、同時にその存在は私を責め立てる。この子を守れるのか、私にそんな力があるのか――。不安が心を締めつけ、息苦しさが胸を覆った。

夜は果てしなく長く、静寂だけが部屋を支配していた。 何度も目を閉じ、深呼吸を試みるが、心臓は止まることなく早鐘を打つ。

だけど同時にこの子を守りたいという決意が闇の中でかろうじて灯る小さな炎だった。

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